時間の無駄

読むと時間を無駄にします

2/9,2/10

2/9

 

昼に起きて買い物に付き合わされて少し勉強して食事をして終わり。

終わり。

 

2/10

 

いい加減反吐が出そうだったから東京に帰ってきた。新幹線では隣に人間が座ってこなかったからイヤホンで耳を塞いでバカの声が入ってこないようにする限り快適だった。新宿から京王線に乗ったら人間が大量にいて嘔吐しそうになった。マスクをしていなかったら本当に嘔吐していたかもしれない。誰もがスマートフォンを眺めていた。

『悪霊』を読み終えた。昨日半分寝ながら読み進めたせいで後半の理解度が低いのもあるが結構難しい作品だと思う。前にも書いたがキリーロフという人物が好きだった。自分が自殺しても自分が神になるとは思えないが、世界に対する根本的な考え方は自分に近い気がする。

『科学哲学への招待』を読み始めた。大学の授業はテクニカルなことばかり教えていてこういうことを知る機会がないから楽しい。逆にこういうことを専門にやっている人間がどれくらい何か実際の科学理論について知っているのかは疑問だが、まあ他人が何をやろうと知ったこっちゃないし、自分が専門バカにならずに色々な知識を得ることができればと思う。

ファウスト』を引くと、自分は「世界を奥の奥で統べているもの、それが知りたい」んだと思う。「そうなったら、もう言葉を漁ることも要るまい」。でも多分自分は何も知ることなく死んでいくんだろうという予感がある。まだ本気で知の世界と向き合うことすらできていない。

 

kentz1風の言葉を使うと「本当のこと」は知りたいが、人間世界から縁を切ることができないし、まだ人間に何か期待している。いつも勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に落ち込んで、その繰り返し。

少なくともどっちかは諦めないといけないし、一方を諦めたところで自動的に他方が手に入るわけでもない。

まあ、とにかく生きよう。

2/8

世界は最悪、音楽は最高。何もしたくない。

 

中原トポロジーを読み進めようとしたが位相空間が何も分からなかった。位相空間が分からないと何も分からない。

田崎熱力学の3章と4章を読んだ。ある種の操作主義の立場から熱力学という体系を構築しているのが面白い。

面白いが、こういうことをやっていると集中力が切れたときに自分の立ち位置が分からなくて困惑する。なぜこんなことをやっているのか、こんなことをして何になるのか。何にもならないが何もしないよりはマシだろう。多分。

自分だってこうやって消極的な学習はしたくない。うおお勉強するぞ勉強!新しいことを知りたい!究極の真理!世界の全て!などとなるのがあるべき形だと思われる。可能ならたとえ一時的にでもそういう気分に持っていきたいが、なかなか難しい。

 

現実逃避に漫画を読んでいたら「好きなことをして飯を食いたいなら与えられたことをこなしている程度ではダメだ」と言われた。その通りです。でも好きなことが生存の手段になっているのはよく分からない。もう早く全部死んで欲しい。

 

Peskinを読まないといけない、というか読みたいが、読める気が1mmもしないから読みたくない。明日は手をつけたい。

春休みの間に量子力学をやっておかないと自分のような頭の悪い人間は3Sセメスターで破滅する。でもどうせ電磁気学で破滅。どうやったって破滅する。というかもう破滅している。

 

このブログ、読むのも時間の無駄だが書くのも相当時間の無駄な気がする。

2/6,2/7

2/6

 

昼前に起きて王将に連れて行ってもらった。親の金で食う飯は旨い。

家に帰って炬燵に入ったらいつの間にか寝てしまった。起きたら16時だった。情けない。

その後はのんびり本を読んだ。学術的な本でなくても布団に寝転んで本を読むと頭に入ってこない上に眠くなる。出来れば学習机に、せめて炬燵に座らないといけない。

『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読み終えた。『悪霊』はなかなか進まない。明日からは普通の勉強にも手をつけることに決めた。進歩のない一日だった。

正直あんまりよく覚えてない。昨日と今日の境界が曖昧。日記は面倒でもその日のうちに書くべき。自他の境界も、昨日と今日の境界も分からない。空と宇宙の境界はどこにあるんだ?

 

2/7

 

朝の9時ぐらいに起きたが二度寝した。起きる理由の比重が起きない理由と比べて小さすぎる。

いつものことだが起きた直後が一日で一番他人との具体的な接触を求めている気がする。抱きしめたい、抱きしめられたい。確固たるもの。安定した存在。またこんな言葉が出てくる。羽根みたいに軽くてどこまでも醜い。何も変わらない、いつまで経っても成長できない。

 

半分ぐらい読んで放置していたSchopenhauerの『自殺について』を読んだ。現存在、という言葉が妙にしっくりくる。こういう本を読んでいるのは知識を得るためでも誰かの言葉に縋るためでもない、でもそんなことを考えてはいけない。テクストに、言葉に集中する。もう何も考えない。あと10ページぐらいで読み終わる。こういう難しめの薄い本はお手軽感があって好き。

 

ゼミの日程がだんだん決まってきた中原トポロジーも読み始めた。1章は飛ばす。明日に2章が終わればいいかな?ホモロジーとかホモトピーとか、楽しみ。

 

田崎熱力学も開いた。3年生から統計力学の授業が始まるから熱力学を整理して理解しておきたい。彼の本は非常に論理的かつ体系的かつ情熱的に書かれているから期待大。今日は1章と2章を読んだ。明日は3章と4章を読みたい。

 

何となく勉強をする雰囲気のようなものができてきたし悪くない一日だった気がする。

 

今日は敢えて頭の悪そうな文章にしてみた。頭は間違いなく悪いんだけど、何というか、こう、存在の軽さ、みたいなもの。

 

 

頭を空っぽにして行為せよ。

2/5

春休みに入ったのを機にブログを始めることにした。かつてもやっていたのだが、長続きしなかった。他人という存在は自分自身以上に不可解であり、そんな不可解なものを対象にして何かを物語るという行為にどんな意味があるのかは検討もつかないが、基本的には日記+感想ぐらいの軽い気持ちでやっていきたい。少なくとも職業的なものではないし、いずれにせよ頭を空っぽにしないことには何もできないのだから。

 

これ以上東京にいることができないと思ったため一刻も早くこの腐った街を離れるべく昨日は徹夜をして一番早い新幹線で実家に帰るつもりだったが、3時ぐらいに眠くなったから諦めて寝た。それまでは本を読んだりアニメを観たりしていた。以前からドストエフスキーの『悪霊』を読んでいたのだが、その上巻を読み終えて下巻に入った。キリーロフという人物の言葉になかなか共感できる。ゾンビランドサガの5話が面白かった。何も考えずに観るのにはちょうどいい。

 

今日は昼に本郷に行ってから新幹線に乗った。本郷では理学部図書館でPeskinを借りて肉劇場という店に行った。場の解析力学の本も買った。新幹線では『悪霊』の続きを読んでいたが何も頭に入ってこなくなったから村上春樹川上未映子のインタビュー本に切り替えた。二人とも自分が好きな小説家というだけあって面白い。車窓からは無数の家々が見えて、このたくさんの家の中にはそれぞれに人がいるというその当たり前の事実が何だか不思議に思えた。こうしてたくさんの人たちが無意味な生を送っている、自分もその一人に過ぎない、じゃあなぜ自分はこうして存在しているのか?

 

駅から家までは車に乗せてもらった。窓を開けて寂れた町並みを眺めていたら無性に悲しくなった。悲しくなったという言葉では到底表しきれない感情があったはずだが、それが何なのかは分からない。分からないことだらけだ。世界各地にこんな馬鹿みたいな風景があって、宇宙はもっと広い。何だっていうんだ?

 

布団に座ったり寝転んだりしていると深い深い倦怠の海に呑み込まれそうになる。もう何もしたくない。意味も目的もない世界を漂っているだけの自分が情けない。でもどうすればいいかも分からない。どうでもいい。

 

社会的実務や人間関係を遂行する実践的能力が自分には欠如しているという分かりきった事実が日に日に明確になってくる。その認識を加速させないためには他人と関わらなければいい。だからまた…。

意味のない言葉。苦しい。息ができない。こんなことの繰り返しだ。