時間の無駄

読むと時間を無駄にします

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春休みに入ったのを機にブログを始めることにした。かつてもやっていたのだが、長続きしなかった。他人という存在は自分自身以上に不可解であり、そんな不可解なものを対象にして何かを物語るという行為にどんな意味があるのかは検討もつかないが、基本的には日記+感想ぐらいの軽い気持ちでやっていきたい。少なくとも職業的なものではないし、いずれにせよ頭を空っぽにしないことには何もできないのだから。

 

これ以上東京にいることができないと思ったため一刻も早くこの腐った街を離れるべく昨日は徹夜をして一番早い新幹線で実家に帰るつもりだったが、3時ぐらいに眠くなったから諦めて寝た。それまでは本を読んだりアニメを観たりしていた。以前からドストエフスキーの『悪霊』を読んでいたのだが、その上巻を読み終えて下巻に入った。キリーロフという人物の言葉になかなか共感できる。ゾンビランドサガの5話が面白かった。何も考えずに観るのにはちょうどいい。

 

今日は昼に本郷に行ってから新幹線に乗った。本郷では理学部図書館でPeskinを借りて肉劇場という店に行った。場の解析力学の本も買った。新幹線では『悪霊』の続きを読んでいたが何も頭に入ってこなくなったから村上春樹川上未映子のインタビュー本に切り替えた。二人とも自分が好きな小説家というだけあって面白い。車窓からは無数の家々が見えて、このたくさんの家の中にはそれぞれに人がいるというその当たり前の事実が何だか不思議に思えた。こうしてたくさんの人たちが無意味な生を送っている、自分もその一人に過ぎない、じゃあなぜ自分はこうして存在しているのか?

 

駅から家までは車に乗せてもらった。窓を開けて寂れた町並みを眺めていたら無性に悲しくなった。悲しくなったという言葉では到底表しきれない感情があったはずだが、それが何なのかは分からない。分からないことだらけだ。世界各地にこんな馬鹿みたいな風景があって、宇宙はもっと広い。何だっていうんだ?

 

布団に座ったり寝転んだりしていると深い深い倦怠の海に呑み込まれそうになる。もう何もしたくない。意味も目的もない世界を漂っているだけの自分が情けない。でもどうすればいいかも分からない。どうでもいい。

 

社会的実務や人間関係を遂行する実践的能力が自分には欠如しているという分かりきった事実が日に日に明確になってくる。その認識を加速させないためには他人と関わらなければいい。だからまた…。

意味のない言葉。苦しい。息ができない。こんなことの繰り返しだ。